ほんのり、と

想いのままに

ほんのり
ふんわり

そのままに。

記憶と感情

イヤなことを忘れる、頭の中で処理する
というのは
難しい


努力して成せるものではないし
時間が経過して
どうにかなるものと、そうでないものがある



相手への感情が大きければ大きいほど
与えられた傷も大きさを感じ
悲しみもイヤな記憶も強く残ってしまう



その相手と同じ時間を過さない
そうなれば、自然と時間が傷をいやすのかもしれない


傍にいるとなれば、横にいながら
そのイヤな記憶を薄めていくか
上から違う感情や新しい良い記憶を
埋め込んでいく


私は数多くの裏切りや
心身的な傷を受けてきて
 
ヒトが嫌いだった


友達も要らなかった


それを少しずつ変えたのは
ヒトリになって
傷を埋めたからであって
良い記憶がイヤな記憶を薄めてくれたからだ



どれだけの時間が経てば
ゼロになるのかは本人にもわからない


イヤなものが前に出てこないように
上に出てこないように
いろんな角度から薄めて
“もう大丈夫”という
事実に変えていかければいけない



でないと
壊れるんだ、完全に


感情がコントロールできなくなって
寝ても覚めてもその記憶が次から次へと溢れだす



たまらないんだ、そんな感情


今は違う
今はそんなことない
今は変わった
今は大丈夫


そう言い聞かせて信じようと努力して
新しい記憶と感情をかぶせていく



些細なことがきっかけなんだ
いつだって
思い出したくないことほど
自分の意志とは関係なく前に上に出てこようとする



邪魔でしかない


苦しみでしかない


本当に吐気がする



それでも耐えられているのは
その相手が努力しているからだと思う


イヤな記憶になるようなものを
私の前から排除していく
目に触れないよう
耳に聞こえないよう
意識して遠ざけていく


自らその方向へいかないよう
自身も遠ざけることに気をつける


“だったら始めからしなければよかった”
と過去を責めても戻ることもやり直す事も出来ない


“これから二度とないようにしてくれないとムリ”
そうするしか出来ない



一時期仲良くしていたブロガーさんがいた


私を過去に苦しめた“その相手”を
どうしても許せない、そう言って
私とそのブロガーさんの関係は切れた


私はその人が本当に好きだった(同性で人間性って意味合い)


なんでも真剣に悩んで一緒に考えてくれて
ささいな私の変化にも気付いてくれた



それでも、
私が精魂こめて過した時間を台無しにする
『行為』をした相手を許せないと言い続けた


一緒にいるべきではない、
また同じ事を繰り返すと、
何かをする前に私の事を理性で考えられない奴は
絶対またやると


そう言っていた


私も暫くそう思っていたし
全く同じ事考えていた



そんな最中
大きく人生が変わる、相手の身体的異変=病気が発覚


周囲にもよく考えたほうがいいと
本当にそれでいいのか、そう
何度も何度も確認された




裏切られるかもしれない



そう思って横にいるのは苦痛以外の何物でもない



その相手は旦那さんになった




毎日、毎晩一緒に過す
疑い出したらキリがない


それでも努力している旦那さんを見たら
信じようと私も努力しなければならない



そうこうしてやっと四年が過ぎた


全く何もなかった四年ではない


でも、以前に比べたら
苦痛は減った


これは旦那さんの努力の末に成り立つものだろう



ただ、
次はない



というのは私にもわかってる
次が、万が一次があったら
確実に私の感情はこわれる
イヤな記憶は一瞬で目の前に出てくる
頭上に出てくる



私は“唯一の友達”になったブロガーさんを
失った



それは、私を想って腹を立てて
私の元へ来ると言った彼女を突き放した、からで
旦那さんを選んだ私に
『なんで・・どうして・・・』と言うことばで
終わったもの




二度と来ない事を
願うのではなく
信じるしかない



信じるしかないから
今とこれからを利用して


イヤな記憶と感情を薄めてなくさなければいけない




さっさと消えてくれ


何もかも
なくなって



なくしてしまいたい。




嘘と裏切りと後ろめたい行動が
一つでも出てきたら


永遠に前へは進まなくなる


終わりになるんだ、
例えそれが旦那さんであっても



私はそれに耐えうる強さを


もう持ち合わせていないから

変わらないということ



前記事はノンフィクションです



なので、長くは置きません。



人生というのは様々な形をもっています。


悲しみの形も
苦しみの形も


みな違います。



同じ体験をしても
悲しみや苦しみは違う。



そして、
苦しみや悲しみに
上も下もありません。


例えば
コップが壊れた、
というショックは
どうしても諦められない!と酷くショックを受ける人もいれば
まぁいっか、と思える人もいます。


私の十代に起こったことは
悪夢でもあり、屈辱的なことでもあり、
人生をやめてしまいたいと思うに至ることでもありましたが
耐えられない事ではなかった。


だから今こうして生きています。


なぜ、今があるのか。



それは、
事故や病気で亡くなった人はもっと悔しいのではないか
コレ以上な事が起きてる人がいるのではないか
この時間がずっと続くわけではないんじゃないか


そう思って現実逃避や気持ちの切り替えをしていたから
だと、思います。



25歳で、人生ってなんだろうとか、
何のために生きなければいけないのか
なんで私が生き残ったんだろうとか
いろいろ考えました。
ご飯も食べず、何日も寝ず、ずっと考え続けていました。


でも、そんなことには何の答えもないんです。


どれだけの財を築こうが
どれだけの人と出逢おうが
終わりは必ずやってくる。


それが、いつなのか、は
自分で終わらせない限りわかるものではない。


そういうことなんです。


私は生きることで、誰かを救えるかもしれない、と。
本当におこがましいことで、
偽善者だと言われる事も思われることもあったけど、
行動にうつしたことで非難を受けることもあったけど、
結果論として
『絶たずに済んだ命があった』ということです。


深い絶望を感じているひとは、何も言わずにそっと
消えてしまいます。
SOSなんて出してはくれない。
それでも何かのきっかけやヒントは転がっていたりする。



生き続けるってラクじゃない。
残された者としてどう生きていくのかは、全部自分次第。
自己責任。



悲しみや苦しみの中にある
そうじゃない一瞬一瞬を見つけられるかどうかは
やはり自分にしかできない。


悲しむ事はいくらでも出来る。
居なくなってしまった人への記憶というのは
自分でしか管理が出来ない。


その人はいなくなった後、どんな想いも言動も
増やす事も減らす事も出来ないから。


楽しかった思い出、悔やむ思い出、嫌な思い出、
それらは全て自分の中で作り上げるものでしかない。


受け入れるということは本当に難しいし、
誰かに邪魔されることもある。


でも、それでも自分で乗り越えるしか
方法はないです。



悲しみに浸る事も、後悔し続ける事も、
全て自分が起こしていることにしか過ぎない。


本当に相手を苦しめたいが為に
命を投げ出す人なんてそうそういない。


残された者の人生の課題として
どうしていくかは自分で決めないといけない。




後追いっていうのは、
自分自身の中にある弱さに
耐えきれなくなってすることだと、医師は言った。


何も見出せない人生に、なんの意味も得ないから行うのだと。


ただ、人はそうなるとき、本当に孤独なのだと。
誰の事も考えられなくなるのだと。
結局は自分のことしか考えられなくなったとき、
先にいなくなった人を恨んだり責める事で
自分の決断を正当化するのだと、そう言った。



あまり医師らしくない人だったけど・・・・(笑)




私は生きる道を選んだ。
別に誰に言われたわけでもないけど、自分の足で歩きだした。


そう、勝手に。
始まりは誰の為でもなく、自分の為。


理由なんて何もいらない。
正当化しようとすればするほど首をしめることになるから。



目の前にあることを、自分で選んでするんだから。



寝る。
ご飯を食べる。
歩く。
お風呂に入る。
歯を磨く。
顔を洗う。
仕事に行く。
車を運転する。



生きる事を忘れるっていうのは
これらがみんななくなる。



私は今のところ、生きる事を忘れていた頃には
戻ってない。



歩き出せてるんだろうなって、
そう思える。






*******************


このブログは完全に不定期で
気が向いたときにしか書きません。


【nice!】不要です。
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人として。



一気に寒さを感じる数日でした。
体調を崩す人も周囲で増えてきました。


油断できません、ほんと。








さて。
今日はある【少女】のお話を。
記事内に不快な表現や、乱暴な内容もございますので
神経質な方はここで読むのをやめて頂けますと幸いです。







































少女は東京の閑静な住宅街で産まれました。
長男出生から五年後、初めての女の子が出来、父親はそれはそれは大喜びで
時間を見つけては仕事場や遊戯場に少女を連れて歩きました。
少女も父親が大好きで、土埃のする作業服を着た父親に抱きかかえられる姿を今でも思い出します。
その父親は少女が五歳で他界しました。
寝る間を惜しんで仕事も遊びにも一生懸命だった父は42歳という若さで
ある日の朝、玄関で倒れたまま夜には息を引き取りました。





それから少女の生活は一変します。
昼夜働く母親はいつも家に居ない。五つ離れた兄と年後の妹。
三人兄妹で家の事をしながら母の帰りを待つ日々でした。





小学三年生の夏休み。突然、母親から『今週引っ越すよ』と告げられ
その数日後には友達に挨拶する間もなく引越、転校。
大きなマンモス団地の一室に引っ越しました。





母親は引越をしてからパタリと働かなくなりました。
父親の遺族年金だけで生活をしていました。


電気が止まってしまい真っ暗な部屋の中で手探りで生活する。
月明かりのさす窓辺で宿題をする。
ときには水道も止まり公園へ水を汲みにも行きました。
ライフラインの赤紙、停止は頻繁に起こるコトでした。
閉店間際のスーパーへ見切り品の食材を買い出しに行き、
特売品がある日は何度もレジに並び直して特売品を買う。
無人販売をルート作りして、定期的に回る。
母親は少女に無地販売の説明をこうしていました。
『これは売りに出せないものを並べているだけで、まともに金を払う必要はない。いいか、一円以上入れるなよ』と。
少女は大人になってからその無人販売をしていた一軒一軒に謝罪の手紙と
料金を支払いに回りました。
事情を話し、歩きまわる中、非難された家は一軒もありませんでした。




それから二年ほどした小学五年生の頃。
伯父が家に遊びに来るようになります。
伯父は来るたびに母親と一緒に布団で寝たり、出かけて歩くようになりました。
暫くして、その伯父の住む家に少女と一つ下の妹は長期休みを利用し、泊まりに行かされるようになります。
車で二時間離れた隣の県、大きな平屋の家でした。





母親は少女達が泊まりに行くと伯父の機嫌がよくなるので
頻繁に泊まりに行かせました。
なぜか少女達が泊まりに行って暫くの間は
生活は余裕あるものになりました。




伯父は一人暮らしでした。
母親の姉の元夫が伯父でした。



少女は伯父が苦手でした。
お風呂に入っていると俺も入ろうかなと勝手に入ってくる。
髪の毛を乾かしてやると言い、ドライヤーをかけながら
身体のあちこちを触ってくる。
だいぶ成長してきたなと言いながら胸を撫でてくる。
そんな伯父がイヤで気持ち悪くて少しずつ避けるような仕草を始めると、
伯父は決まって『妹にはしないんだよ、お前がされていればな』と言いました。



少女は黙ってその行為を受け入れました。
口の中が血だらけになるほど歯を食いしばって。




そして小学六年の夏休み。
少女が寝ていると酷く重く苦しい状態で目を覚ましました。
少女の胸の上に伯父が顔を埋めていました。
伯父は少女の【初めて】を奪いました。
そして小さな声でこう言いました。
『わかってるよな、妹にはしてほしくないだろう』と。





少女は全てを受け入れました。
何もかも。





味をしめた伯父は少女を知人にお披露目しました。
何人もの目の前で様々な事をしました。
そして受け渡しされるお金。
行為に対して支払われるお金。
毎日、毎晩、時には昼の間ずっと、その行為は続きました。
感情も心もなくした少女は人間ではなくなりました。
ただお金を生む道具。玩具でしかなかった。





そして。
少女が六年生の冬休み。伯父との子供を母親が産みました。
赤ちゃん、一回り離れた妹。
母親は育児を全て少女に任せ、急に働きはじめました。
伯父はその頃から少女の家に遊びに来る事はなくなり、
代わりに少女だけを自分の家に呼ぶようになります。




母親は荒れはじめました。
少女にわけのわからない暴言を吐き、殴る蹴るベランダに出す。
毎日その繰り返しでした。
それでも赤ちゃんが泣けば部屋に入れてくれる、少女は妹である赤ちゃんを
大事に大切に可愛がりました。
おんぶ紐で背負いながら夕飯を作り家事をする、そんな日々。



兄は全寮制の学校へ進学した為、その当時の事を一切知りません。
一回り離れた妹、兄にとっては17歳離れた妹の存在を知ったのも
妹が産まれた後の事です。
兄は家に帰る事もなく、休みの度に朝から夜中まで仕事をして
給料袋を封も開けず、そのお金を母親に渡していたそうです。
私たちへの生活費、だと言って。




少女は14歳までそんな生活をしました。
赤ちゃんと過す時間だけは人間で居られるような、
生きていていいんだと思えるような、そんな日々。



14歳になって間もなく。
母親に連れられ、温泉街のパーティーコンパニオンをさせられます。
コンパニオンの仕事がない日は学校近くにあるスナックで仕事。
旅行に来て羽目を外す酔っ払い。
お金に物を言わせて酒の相手をさせる。万札を10枚ドレスの中に差し込み、
部屋へ連れていく人もいました。身体は絶対にガードを緩めなかった。
逃げ出す際に殴られて顔が腫れあがった事もある。
それでも妹の為に仕事はやめなかった。



昼夜逆転した生活をしていれば自然と学校にも行かなくなり、
担任や学年主任、生活指導の先生が何度も家に来ますが、母親は凄い剣幕で怒鳴り散らし追い返しました。
次第に学校側は少女の家に来る回数も減りましたが担任だけは通い続けました。
担任以外の先生は、どうしようもない大人でした。
何人もの先生に万札数枚を見せられ【俺はどうだ?】と聞かれる始末。
その事実は誰にも話さず伏せたまま、少女は仕事をしながら最低限の提出物と
校長室での卒業認定試験を受けなんとか中学校を卒業しました。
当時は警察にお世話になることも多く(逮捕とかではなく)、生活安全課の数名の警察官にもいろんなご理解を頂きました。


今の時代では、考えられない事ばかりかもしれません。




少女は卒業する少し前に、とある男性と知り合いました。
スナックに来ていたその男性は来るたびに少女を指名し、
黙ってお酒を飲み、帰り際に一言メッセージを箸袋に書いたものを渡す。
【寒い日に寒いって感じるのはいいな】
【無理に笑うとその反動は思ってるより強くなる】
【頑張らなくていい、涙を流すのは我慢しなくていい】
【ありがとうは心から伝えること、心ないありがとうは不要】
【涙がこぼれそうになったら上を向いて。頬を伝った後は気持ちが良い】
たくさんのメッセージ箸袋が溜まっていった。
お店の外まで送り出すと、きまって手のひらを広げたまま
頭をポンポンと二度叩いて
『生きるんだよ、また来るね』と帰っていく。



少女は兄妹以外の人間を、人間として見ないようになっていた。
けれどその男性と知り合い、気持ちに少しずつ変化が出てきた。



少女は男性と身体の関係を持つことなく、少女17歳の時、入籍。
何故そういう関係にならずに居ていいのか最初は戸惑いもあった。
けれど、少女は安堵していた。
何度も泣きながら目覚める少女を抱きしめて眠ることはあっても、
身体を重ねる事はなかった。
添い寝をして興奮状態にある少女を落ち着かせることはあっても、
服を脱がせる事はなかった。



その人が経営していたお店を少女も一緒に手伝った。
会員制のクラブだった。
品位のあるお客様ばかりで身の危険を感じる事も、
不快になることもほとんどない仕事場は少女にとっても
居心地の良い場所になった。





生きていい場所、そう思った。





そして、入籍から七年後。
急に男性は長期間家を空ける日が増えた。
少女は不安になって何度も問いかけた。
でもきまって『なんでもないよ、仕事が忙しいだけ』
と、答えるばかりだった。
一年後。全身を癌に蝕まれたその人は、亡くなった。





突然、亡くなった。
少女を包んでいた空気がなくなった。
少女は顔を上げられなくなった。
笑う事も、泣く事も、食べる事も、歩く事も忘れるほど憔悴しきった。





それから一年後。
少女は縁あって授かった子供を二人育てるために、
顔を上げて仕事へ復帰しました。
その人が残してくれたお店へ。
25歳でした。





ただ、人間急には変わらないもの。
少女は子供達の前では心から笑い、笑顔を向けられるものの
一歩外に出ると表情のない生活を送るようになります。



そんな生活をする中、
環境と周囲の人間関係に恵まれ
大きな問題もなく仕事をしました。
時に悲しい事もありました。
どうにもできない腹立たしい事もありました。
悔し涙を流す日もありました。



それでも25歳から10年間。
お店のコト、従業員のコト、お客様のコト
そして子供達への想いだけで仕事をし生きてきた。



生きてきました。




少女(もうそんな年齢ではないが)は、
男という性別を受け入れられない時期が長くありました。
お金を稼ぐ為の商品でしかないと思う時期もありました。
それでも男というものが、自分を苦しめるだけのものではないと
知る機会をえることができました。
ただ、金銭の生じる肉体関係だけは理解をすることは出来ません。
生きていくためにそのような仕事をしなければならない、そういう方もいるでしょう。
それでもお金というものを利用して、購入する側にも売る側にも
理解はありません。
縁がないからそのような場所にいかなければならない、
そう言う方もいます。
それでも理解は出来ない。
自分の意志や感情が全くないところで自分が商品となる。
それは理解し得ぬことです。


夜の仕事をしていれば、周囲にそういった仕事をする人との縁もありました。
冷たいかもしれませんが、冷酷だったかもしれませんが、
売る側にいた人との縁は全て経ち切りました。
購入する側も同じです。


人ではない。感情のある生き物だとは思えない。
一時の快楽の為に、お金という道具を使い、人間を道具のように扱う。
感情があるとかないとか、そんなことは関係ないのです。
お金を払い、その見返りにそのような行為に至る。
その思考すらが汚れていて憎悪しか感じない。



人間や生き物の本能として、
性行為は必要なものであると言いますが、
その形、方法は選択することが出来るものであると考えます。


たった一瞬の快楽の為に、何年も何十年も重く汚い記憶を
抱えて生きている人間がいるのだということを
行為に走った者は忘れてはならないと想う。



同じような境遇にある子供たちを救いだしたい。
その想いからお店の売り上げを寄付し、ボランティアとして
被害にあった子供の元へ飛びまわった。
今も決してそのような状況下にある子供はゼロではないのだろうけど、
力も余裕もない。それでも何かしらの形で被害にあっている子供を救いだしたい。
その想いと小さな行動だけはやめてはならない。


いつか、人が人を壊してしまわぬように。
自ら死を選択してしまわぬように。



朝を、夜を、迎えられるように。


人間として生きていけるように。



こちらの文章に、乱れや荒れが見られますが
ご了承のほどお願いいたします。
また、質問、コメント等は一切受け付けません。